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松島・平泉・山寺・東京・川越・日光 No.4 [松島・平泉・山寺・東京・川越・日光 '12]

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この写真、見たことある?! そうです、教科書でもきっとこのアングルだったと思います。

出掛ける前の天気予報では、ずっと晴れのはずだったんですが、雨男パワー全開でどしゃぶり・・・。

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中尊寺

天台宗東北大本山。850年、慈覚大師円仁の開山。

12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前年九年・後三年の合戦で亡くなった命を

平等に供養し、仏国土を建設するために大伽藍を造営しました。

惜しくも14世紀に堂塔の多くは焼失しましたが、金色堂始め三千余点の国宝・重要文化財を

伝える平安仏教美術の宝庫です。

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金色堂

天治元年の建立で、現存する唯一の創建遺構です。御本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、

さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています。堂全体を金箔で覆い、皆金色の

極楽浄土を現世に表しています。内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で壮厳され、

平安仏教美術の最高峰をなしています。中央の須弥壇の内に初代清衡公、向かって左の壇に

二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が収められています。

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月見坂

本堂まで560mにわたり続く中尊寺の表参道。
樹齢300年から400年の老杉は伊達藩によって植えられたもの。

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弁慶堂

1827(文政10)年建立。
弁慶の木像が数体安置されており、最も古いものは弁慶の自作と伝えられる。

義経と弁慶

平氏を滅ぼした戦の最大の功労者は源義経だが、兄である頼朝と対立し、追われる身となる。

三代秀衡を頼り平泉を訪ねたが、秀衡の死後、頼朝からの圧力に屈した四代泰衡から

自刀に追い込まれ、高館の地で果てたと伝わる。

高館(たかだち)

判官館ともいい、北上川や束稲山などを一望できる場所である。

源義経公はここで自害したと伝えられている。天和三年(1683)義経堂が建てられ、

義経公の尊像がまつられている。

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白山神社能舞台

境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建つ。嘉永6年 (1853年) に仙台藩によって

再建されたもの。近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ日本の芸能史上貴重な遺構として

2003年に重要文化財に指定されている。

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松尾芭蕉も奥の細道で訪ねたそうで「夏草や 兵どもが 夢の跡」や

「五月雨の 降の残してや 光堂」などを詠んでいます。

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さて、2日目の次の訪問地へ・・・。

撮影:岩手県・中尊寺

カメラ: RICOH GR DIGITAL IV & FUJIFILM X10


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