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東京・鎌倉 No.022 [東京・鎌倉 '11]

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月島(つきしま)の路地。

月島・・・東京湾の月の岬という月見の名所から名付けられた「もんじゃ焼き」で有名な場所。

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「もんじゃストリート」 月島西仲通り商店街には約60件のもんじゃや焼き屋さんがずらーっと。

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佃島(つくだじま)

佃島は摂津国西成郡田村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師達が
幕府の許可を得て築造した漁村である。

家康が1582年(天正10年)、京都から堺の地に遊んだ時、本能寺の変
が伝えられ急遽踵を返して間道を通り抜け大阪に向かったが、出水のため
途方にくれているときに佃村の庄屋孫衛門が多数の舟を出して一行を助け
ここに徳川家と佃島漁民の間に固い絆が結ばれることになった。

その後、家康が江戸に幕府を開くにあたり佃村の漁師に対する恩賞と
して彼らに幕府の御菜御用を命ずるべく、老中安藤対島守を通じて
その出府を促し、1613年(慶長18年)には「網引御免証文」を与え、
江戸近海において特権的に漁が出来るようになった。

1644年(正保元年)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて
築造し故郷摂津国の住吉神社の分霊を奉祀し、島の名前を佃島と命名。

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住吉神社

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住吉水門

住吉水門は佃堀が隅田川に合流する地点にあり通常時は船舶が航行
するために開放していますが高潮あるいは津波時には佃、月島等の
防波堤で囲まれた地域住民を守ります。

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石川島灯台

1853年(嘉永6年)水戸藩によって造船所が設けられその後
石川島造船所として石川島の名を残す唯一のものとなった。
造船所は第二次世界大戦後、石川島播磨重工業と改名された。

石川島の灯台は1866年(慶応2年)にこの辺りを行き交う船舶の
ために石川島人足寄場奉行、清水純畸によって寄場の油しぼり
益金を割いて築かれました。(現在灯台はレプリカです)


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佃煮の由来については、東京都中央区佃島とする説と大阪市西淀川区の
千船駅そばの「佃島」とする説があります。醤油・砂糖で甘辛く煮詰めた
佃煮を作り始めたのは東京浅草にある「鮒佐」だと言われています。

撮影: 東京・月島・佃島

カメラ: RICOH GR DIGITAL III


comments(6) 
theme:アート

Comments 6

ぱぱくま

月島界隈にいらっしゃったのですね~。
会社のご近所です(笑)
色々と都内を巡られましたね。
月島は路地裏歩きがとても楽しい所です♪
by ぱぱくま (2011-11-05 07:12) 

tak+

数年前からもんじゃ焼の大ファンになってます。月島ってこんな感じなんですね、どの店に入ろうか悩みますなあ。 石川島灯台も素敵で、記事勉強になります。東京も奥深い!
by tak+ (2011-11-05 13:29) 

TOYO

大道さんも「路上スナップ写真のススメ」で、月島と佃島を撮られていましたね。佃煮の天安、ここ反対の角度から大道さんは撮られています^^
by TOYO (2011-11-05 21:50) 

adelie

>ぱぱくまさんへ
そうなんですか。もう少し回ってみたかったんですけど、
最終日だったので有名所をつまみ食いって感じです。
今度は路地攻めてみたいです。

>tak+さんへ
朝早く出かけてしまったので、どのお店も準備中で食べれませんでした。

>TOYOさんへ
そうなんですか。今度画像検索してみます。
by adelie (2011-11-07 03:09) 

cjlewis

そういや、最近、もんじゃ食べてない、、、
ちなみに、私の会社は、石川島灯台の対面あたりです。
by cjlewis (2011-11-07 12:08) 

adelie

>cjlewisさんへ
そのあたりも散歩しましたよ。確か大手の社屋があったような。
分かっていればお会いしたかったです。
by adelie (2011-11-07 23:41) 

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